【ポケモン】三値を知った日

思い出について書きすぎてクッソ長文になってしまいました。

「三値」聞き覚えのある方は多いと思います。
種族値、個体値、努力値、どれもファンのつけた俗称であって公式名称ではないですが、ポケモンのステータスを決定するこの3つの数値を総称して「三値」と呼びますね。

「俗称」ということから察してもらえる通り、これらはゲーム内で確認することができないマスクデータ、隠しパラメータになっています。

通常プレイでは知ることのない「三値」。
今でこそ世界大会も開かれ、ポケモン=対戦ゲーという認識を持つ人も少なくはないこともあり、少し調べれば三値についても簡単に知ることができますが、当時はそこまで情報もたくさんありませんでした。

※今回は三値の解説については割愛させていただきます。
(それだけで何個か記事が書けそうなので…)

この記事は私が三値と出会った、あの日についてのお話です。

“宇宙センターでロケットが100回打ち上げられるとデオキシスが出てくる”

“白い岩で何かをするとジラーチが出てくる”

“「ふしぎなアメ」でレベルを上げると野生ポケモンを倒して育てるより弱くなる。”

“赤い色のレックウザ”

そんな噂を聞いたことがないでしょうか?
これは、当時「ルビー・サファイア」を遊んでいた時にクラスで流れていた噂です。
まだインターネットもそこまで身近ではない時代、ゲームの攻略情報は友人間での情報と攻略本に乗っている情報がほぼ全てでした。
(当時なんで全国の小学校で同じ噂が流れていたのかも疑問ですが、恐らく当時からワザップを知っていた一部の生徒が噂を流布していたのでしょう。)
根も葉もない噂を耳にするたびに信じて騙されて…を繰り返していました。

というのも、頻繁にゲームを買ってもらえなかった私と友人は1つのゲームをとことんやり込む傾向が強くあったので「○○すると☓☓らしい」「マジ?試してみよう?」を繰り返していたからです。

当時も今もほとんどのポケットモンスターシリーズは、各ジムバッジを手に入れてチャンピオンを倒し、殿堂入りをすれば基本的にはゲームクリアです。
クリア後は平和になったその地方を自由に冒険することができますが、物語はそれ以上進みません。
が、私の瞳にはそれが最高の景色として映っていました。
私の知っていたほとんどのゲームはクリア後に「周回プレイ」もしくは「ラスボスの直前に戻る」といった内容のものだったので、物語をやり直さず、しっかりと結末の続きの世界を歩き続けることのできるポケモンは、最高のやりこみゲームでした。

「ポケモン図鑑を全部完成させる!」
「好きなポケモンをレベル100まで育てる!」

ただひたすら好きなポケモンを捕まえて育てて…そんな時間が至福の時間でした。

1人ではなく、友人とゲームで遊ぶとなると「ポケモンバトル」「ドンキー64」その他各家庭にあったテレビゲームで…といった状況で、基本的にゲームで遊ぶ=ゲームで勝負するという状況でした。
勿論、大好きで、一番やり込んでいるポケモンバトルでは無双でした!(他はお察し)
第3世代のGBA環境、いまでいうフラットルールも存在しないこともあり、単純にレベルが高い=強いバトルが成り立ってしまい、特性とタイプを覚えて、レベルを上げて、タイプをバラけさせて、技も同じタイプばかりにしないで…といった程度で、友人間のバトルでは勝ち続けることができたのです。

おいおいおい、流石に盛りすぎでしょw
と思われるかもしれませんがこれ本当なんです。手持ち6匹全部100レベ、ってのもできていない子もザラにいましたし、タイプ相性や特性で効かないタイプがあることも曖昧な子もいるような環境でした。
小さいコミュニティの中でしたが負け無しだった私は「自分が一番ポケモンが強い」と勘違いしていました。
(井の中の蛙ですね。)

さて、そんなある日(長い目で見れば人生を変えた)事件が起きました。

いつも遊んでいた友人の1人が、お兄さんを連れて遊び場に来たのです。

どうやらそのお兄さんもポケモンをやっいたようで、よく遊ぶメンバーの中で一番強かった私とポケモンバトルをすることに。

……

………

ボロ負けであった。
それはもう言葉にならないほどに。

「すげー!」「強い!」という賞賛の嵐、それまでは自分へ向けられていた羨望の眼差し。
そのすべてを持っていったお兄さんの放った一言。

「え、じゃあ今度みんなにも強いポケモン上げるよ」

その場にいた子どもたちを虜にするには十分すぎる出来事でした。
ものすごく悔しかったけど、なんで負けたのかは当時は理解できていませんでした。
戦い方とか、覚えさせる技とかじゃなくて、もっと根本的な何かが違ったのです。

「次戦うことがあったら絶対に勝つ」という目標を胸に「ポケモンバトル強くなる方法」についてひたすら調べました。
で、調べていくうちに「三値」に出会いました。
といっても、当時はまだ「三値」なんて呼び名も定着しておらず、今のようなHABCDSといった略称もなかった記憶があります。

・ポケモンの種類によるステータスの違い
・捕まえる度に同じポケモンでもステータスが違う
まではゲームを遊んでいてなんとなく気がついていましたが、努力値、基礎ポイントについて気がつくのはこの時が初めてでした。
道中手に入るタウリンやらなんやらのアイテムは、使おうとするとたいてい「使っても意味がないよ」のテキストが表示されていたので、レベルを上げると意味がなくなるアイテムなのかな?程度の認識でしかなかった当時の私には、衝撃的な内容でした。

それからは狙った性格が生まれるまで卵を割り(もしくは捕まえ)、ひたすら育てたい箇所に対応したポケモンを倒しレベルを上げ…といった育て方をしていました。

ただし、遺伝の仕組みについても、個体値がいくつなのかをどう計算するのかについても当時はよく理解できていなかったので、個体値に関しては厳選はできず、遺伝技、性格、努力値、でひたすら頑張っていた時代です。

その後「ダイヤモンド・パール」が発売され、間を空けずに「ポケモンバトルレボリューション」が発売されました。

お互いが家にいても通信ができるWi-Fi通信に、知らない人とバトルできるバトレボは、当時の私にとっても革命的な面白さでした。
(プラチナ以降ばくばくマルノームに熱中するのはまた別のお話。)

ただし、この時期になってくると「ポケモンは子供が遊ぶゲーム」という認識を持った人が増え、ポケモンを遊ぶ友人も減ってしまい、友人とはポケモンをする機会が減り、例のお兄さんとは連絡も取れず、結局リベンジを果たせずに過ごすことになります。

伝説と催眠術が跋扈する混沌としたバトレボ環境では勝つことも難しく、せっかく育てたポケモンを活躍させることも思うようにできませんでした。
(バトレボは伝説幻どころか持ち物重複もポケモン重複もOKなゲームです。)
(ある程度経つと、暗黙の了解みたいなルールが生まれていました。)

ある程度経ち「もっと強くなるためには、よくわかってない遺伝について理解しなきゃいけない」と認識し、個体値についても学び、厳選をするようになったと記憶しています。

時は流れて、いつのまにか「ハートゴールド・ソウルシルバー」時代。

もう周りにはポケモンで遊んでいる人は1人もいませんでしたが…それでも私はポケモンが好きで遊び続けていました。

画像は初めて厳選したハッサムです。
当時は4Vでも高個体だったんです、めちゃくちゃ嬉しかったし、ず~っと使っていました。

あの日あの時遊びに行ってなかったら、あの日あの時負けていなかったら、ここまでポケモンについて詳しくなっていなかったのかもなぁ…と、そう思うと人生って不思議ですよね。

最後に、結局リベンジもできなかったお兄さんに伝えたいことがあります。

年下相手に改造使って、強いポケモンって言いながら改造個体をみんなに配るのやめて!
謎の意地で「自力で勝ちたいからいらない」って私がスネてなかったらどうしてくれたのさ!

当時は流石に、覚えられない技とかまでは把握できなかったよ…

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